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カテゴリー「大河ドラマ」の記事

2022年1月15日

「鎌倉殿の13人」が始まって

 今年も大河ドラマがスタートした。武家政治の始まりの鎌倉時代だが、私もこれを機にこの時代にもっと関心をもって勉強してみようと思っている。
私も平安末期の源平の世から鎌倉時代は、よく知らない馴染みの薄い歴史の世界でもあるからには、新たに歴史勉強となるはずである。

そんな時代の大河ドラマをあの「真田丸」で脚本を書いた三谷幸喜さんがやるとなれば、軽妙なタッチの中でも本筋を外さずに解り易い感じになっていることだろうと思って、初回を観た。なるほど言葉もストーリーもかなり解り易い感じで、観る者にとって、この時代への一種のアレルギー感はかり払拭されてるなあと思えた。

三谷映画作品はこれまでも何本かは見たが、軽いタッチで面白くて入り易い。ただ面白いだけではなく、実に巧妙にシリアスな部分もしっかり丁寧に空想させ描いているそのバランスと言うか的を外さないところが流石だと思っている。時代考証の知識もほとんどない私ではあるが、かの時代の背景は、現在のそれとは全く異なるものだとは心得ているつもりではある。そうしたことの対比はまあ、幾分かのシニアの脳の活性化には役立つだろう思っている。

武士の始まりの時代と源氏から北条氏へと移行する過程での権力闘争は、どういう風に描かれていくのかに注目しながら、これから見てみようと思う。そして、武家政権が天皇を追放するという歴史上稀な承久の変へは一体どういう展開となっていくのだろうか。

知らない世界への興味は尽きないが、当時の伊豆や鎌倉と言う地理的な位置関係にもまた興味が出てきている。これまでと同様に大河ドラマ観賞で私が体得した事前学習やドラマ後のおぼろげな疑問点の整理もして、少しずつ調べてみたいと思っている。

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2021年11月14日

母の教えと人との出会いが渋沢栄一を作ったのでは

 いつもの川沿いのウォーキングをしながらブログのテーマを考えていたら今日は、日曜だから大河ドラマも見たくなった。
青天を衝けの渋沢栄一の生い立ちから明治政府での活躍を見ていて思ったことを書いてみよう思った。

このドラマでは、渋沢栄一と言う人物の思想的な基礎を作ったのは、やはり母親のえいの口癖である「みんながうれしいのが一番」という考えではないだろうかと思ったのである。まさに、偉人は母親が育てるのという見本ですね。
そしてまた、平岡円四郎という一橋家の重臣との出会いが大きな転機となっており、その後の欧州視察での近代資本主義の触発の流れへと思っているからです。

「おかしれい」という柔軟な精神性を持った平岡円四郎という人物の出会いなかりせば、渋沢栄一もなかったと思えるほどの人生の大転機だったはずである。この二人の人物の影響を色濃く反映して、後年の渋沢の方向性は出来上がっている思ったのである。 特に、平岡円四郎という人物に注目している。歴史にもしはないけれど、この人との邂逅なかりせば、欧州視察のチャンスも発生していないのである。いくら母から公徳心の教えがあっても、欧州視察で得たカンパニーの制度を会得できない渋沢となっていた筈であるからだ。

後年、渋沢栄一は、政府の役人を辞して、500程のカンパニーも設立しているが、財閥は形成してはいない。それどころか公益的な事業も推進しており、徳川幕府の崩壊後の混乱で発生した孤児達や浪人の受け皿にも関与支援しているわけです。

幕末の頃の若き渋沢栄一は、血気盛んな渋沢青年は、危なっかしい限りで、一歩間違えば命取りなったはずですが、幸運にも一橋家の武士となっているところが、不思議な縁に助けられていますね。勿論、栄一青年の実務処理能力も高さもあってのことですが。

いずれにしても、渋沢栄一は、薩摩の伍代友厚とともに近代日本資本主義の基礎を作ったことは大きな功績であることが理解することが出来ました。また、兎角、営利至上主義に走り気味で、公共性や公益性もまだまだ薄い昨今の大企業の在り方をも問うタイムリーな大河ドラマの選定になっているなあと私は感心しきりです。

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