天王山から京都を望む
京都のことが、もっと深く知りたくて、これまでの歴史や地形などにずっと興味があった。
まずは遷都の歴史に始まり、天皇や元号や街道と遷都の関係も調べてみた。そして、実際に現在の京都の町をこれまで何度も歩き回ってみた。
その後、秀吉の御土居と呼ばれる土塁に囲まれた御土居跡を何回かに分けて歩いてみた。御所を取り囲む総延長約23キロの土塁と堀の跡だから
数か月かけて回る予定でスタートした。歩き回るうちに京都の地形も次第にわかるようになった。
鴨川と桂川に挟まれた京都は西にやや低くなっていることも解った。このことが洪水対策上から東側にシフトしている原因でもあったようだ。
それから後、京都を東西南北から実際に歩いて自分の目で眺めてみたくなった。これまで、東山から京都を望したことはあったが、それ以外は
なかったので、昨年から八幡市の石清水八幡宮から京都を遠望した。男山から見る京都の歴史を振り返ってみると何とも言えないものが私の心に湧き上がって来た。楠木正成や織田信長も見たであろう風景を私も眺めて、往時を偲び、しばし時空の旅をしたような気分にもなった。
その時、今度は男山から西方のすぐ近くに位置する天王山からの風景も見てみたいという強い衝動に囚われた。
この二つの山から京都方面を遠望しないと解らないものが、ある筈だという思いだった。
そして、時あたかも秀吉と三成の天下分け目の戦いがあった季節の頃に京・大山崎町の天王山に上ってみた。
事前調べだと山頂までは往復3キロ程度のファミリーハイキングに適した山だとあったが、70歳過ぎのシニアの私には、かなり急坂であり何度も休み休みしながら登って行った。山腹途中から京都方面を望む場所もあり、そこは秀吉の旗立松と山崎合戦の石碑と七代目の松の木があった。
桂川・宇治川・木津川の三川合流地点も一望できた。また男山も近くに見える場所だった。山頂には山崎城跡もみることが出来た。
これでまた一つ京都の歴史について理解できるようになったと得心して山を下った。













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