情報の青い大海から混濁の海へと
最近またふとまた思うことがある。私がマイコンピュータなるものを初めて買ったのが1997年の春だった。
ウィンドウズ95が世間に大騒ぎされて売り出されてから2年後である。N社のデスクパソコンを初めて手にした興奮は今もはっきり覚えている。
そして、当時43歳の私はインターネットなるものに興味深々だった。それから開始されたばかりのNTTのISDNのデジタル回線に繋げみた。
当時の通信速度やアプリやパソコンの性能は、約26年を経た現在からみれば小学生レベルだったけれども感動するばかりだった。
それから厄介な接続設定に悪戦苦闘して、何とかネットサーフィンなるものを初体験した感動も覚えている。
ネット社会の初期の情報の巨大さを前にして、ただただ驚くばかりだった。次第にパソコン単体のスタンドアロン状態とネットワークが如何に格段に違うかも肌身で解るようなった。
当時電子メールなるものが如何に楽しいものかと思ったが、まだ一般には普及してない状態で、早く一般に普及しないものかと期待していた。
その後、10年程してNTTドコモからそうした通信環境が整備され、普及してきたけれど。
その後着実に、高度情報通信社会へと進化し、あのコロナ禍がさらにその進化のスピードをさらに加速させている。
病院の診療予約も注文予約も金融も教育等の様々なところで着実にデジタル化が広がり、さらに浸透しているように思う。そして、モノのインターネット社会の到来も近いのではないだろうか。
超高速のデジタル通信社会は、これからどんな社会変化をもたらすか楽しみでもある反面厄介な課題も生み出してくると思う。
ネット情報の信憑性の問題である。様々な膨大な情報の取捨選択する目を持たないといけないと思う。つい自分に都合のよい情報だけが
画面に並んでしまっていることに意識してないといけない。情報の海に溺れずに、多角的複合的な視野を意識しておくことも必要である。
つまりは、情報を真贋を見極めることに常に留意しながらネットと付き合うことだとシニアの私も思うこの頃である。
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