私がブログを書くもう一つの理由
初めてブログを書き始めたのは、定年退職して3年目の2018年1月末日だった。その頃やっと少し定年後の生活ペースに慣れた頃だった。
1日4~5時間の短時間労働してはしていたが、それ以外に何か新しいことにでも挑戦してみてはという長男のアドバイスに従って、ブログを書き始めてみることにした。まあ、脳トレの一環のつもりでもあった。
テーマは、まずは定年後生活で気になったことを気楽に綴ってみることにした。だから毎日毎週ペースで書くことはなく、月に数回程度のものでスタートした。色んなブロガーの方のブログも読んだりして、なるほどと感心させられることもあった。とりわけ、現役時代の同僚先輩以外の人達のシニア生活スタイルも大いに参考になった。
改めて、ブログなるもの存在が有難かった。丁度良い時に定年を迎えたものだと感謝しきりだった。自分の自然な思いを綴っていくことで、改めて色んなことを再認識することが出来た。
通算7年間で、僅か260件程度のブログ記事ではあるが、過去の記憶の整理や趣味の歴史散策やらスロージョギングのテーマは、意外とすんなりとかけている。これは、楽しい脳トレになっているからブログは続いていると思っている。
しかし、最近思ったブログを書き続けるもう一つの理由は、私の孫達に祖父はそんな人だったんだという朧げなイメージを残したいだった。
明治11年生まれの私の祖父は私が5歳の時に82歳で亡くなっている。晩年は脳卒中で病床に伏していた微かなイメージしかない。写真からは明治生まれの厳格なイメージしかない。当然のことながら、昭和の戦後生まれの私とは世代ギャップはあるはずだが、一人の人間としてのどんな人間だったのだろうと最近、興味関心がでできたのである。明治・大正・昭和初期を生き抜いた精神はどのようなものだったのだろうかと。
昭和・平成・令和の時代の変遷のなかで、生きた私の人間像を少しブログの一端で感じとって貰いたいと密かに願うようになっている。
そして出来れば、70代初期から自分史作成に取り掛かってみたいとも思っているこの頃である。 ※その為、PDFと別のアプリで保存しておくことにしたい。
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