箱根関と箱根駅伝
2024年が第100回の箱根駅伝大会だと知って、その記念すべき大会に思いもよらず観戦する機会を得た。実は、以前からテレビ中継ではなくて、実際のレースを観戦したいとは思っていたが、コロナ禍で感染予定のホテルも予約していたが、拡大予報にシニアの私達夫婦は、遂には断念したという経緯があった。
そして、コロナのもう収束した2023年秋に次男からの招待旅行が箱根駅伝だった。奇しくも記念すべき100回大会だというものだった。
1920年(大正9年)が第一回と言うからには途中何回かは途絶えていることになる。調べてみたら、第一回は早稲田大学、慶応義塾大学、明治大学、東京高等師範学校の「四大学対抗駅伝」として実施されているようだ。その後、参加校が増えて、現在の20数校となっている。
私が宿泊したホテルは往路6区過ぎの箱根湯本駅の近くであり、観戦するには便利な場所だった。6区は山上り区間で有名だが、実際のコースをバス乗って、ずっとその長さと言い角度やカーブを見てると相当なものだと実感した。これじゃゴールしたら倒れ込む筈のレベルだと実感した。
実際上り坂もきついけれど復路の長い下り坂の方が脚の筋肉に相当なダメージを与えるはずだと私も思った。まあ、いずれにしても20キロを60分程度の走力をもった選手を10人以上が集まる関東の大学は日本の長距離界の大きな基盤であり財産だと容易に推察された。
観戦して思ったのは、各選手とも鍛えられた脚と厚底の最新のハイテクノシューズを武器にして、サラブレットの如く走り抜けていたのを見て、隔世の感を覚えた。当たり前のことながら私の数十年前の記憶にあるイメージとは、こんなにもかけ離れていると強烈に印象だった。
そして、往路の終点のすぐ手前の東海道の箱の関所にも立ち寄って、雪の雄大な富士山も拝むことが出来た。日本とその歴史の重みを再認識できた旅となった。
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