予想外の単身赴任のこと
初めての二年間単身赴任を終え、2003年春に自宅から通勤生活となった。これで、二年間は自宅から通勤となるとホッとしてしていた。
しかし、わずか一年間でその淡い期待はすぐに潰えた。通常ならば、単身赴任二年間で自宅通勤二年となるのが一般的だった。
青天の霹靂ともいうべき二回目の単身赴任先は、熊本の天草に近い町だった。北九州から250キロ程の距離である。
この距離ならば高速道を最大限に活用しないと週末帰宅も苦労する距離である。また、初回の佐世保市と比べて色々と難儀することが多かった。
それでも一度は単身赴任したという経験があることが心強かったし、丁度、単身赴任二回目の先輩も同じ宿舎にいたので、何かと助かった。
丁度12年間乗ったディーゼルエンジンのワゴン車を排出ガス規制対応のガソリンワゴン新車に買い替えたばかりだったから移動は少し楽しかった。しかし、毎金曜勤務後の北九州への車帰宅は疲れるので、特急列車での帰宅パターンが主流となった。
今度の赴任先は天草五橋の入口付近にあり、鉄道も終着駅なのは良いが、熊本駅までは普通列車だった。車窓から眺める有明海の海は穏やかで遠くに島原も見えていたのが今も脳裏に焼き付いている。自然豊かな有明海の海産物や豊富な柑橘類(清見、デコポン)を味わえた思い出がある。
仕事で、天草半島の先端の牛深には何度か行ったが、台風の通過地だが温暖な海洋気候の素晴らしい所だった。
あの「天草島原の乱」の歴史の奥深さにも触れ、天草と島原の繋がりや知られざるキリシタン教徒の苦悩の生活にも知ることが出来た。
また夏季休暇を利用して、車で九州山地を縦断して帰ったことも今では楽しい思い出の一つとなっている。
そうしてまた単身赴任二回目も経験することが出来たことは、私の職業人生に厚みを増してくれたと今では思っている。
二年間の単身勤務を終えて、三角町の宿舎を後にして帰宅の途上で、思ったのはもう一度はあるであろう最後の単身赴任のことだった。

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