最後の単身赴任
私の最後の単身赴任は、定年前の58歳のことだった。もうこれで最後となる勤務地は佐賀県唐津市だった。
北九州市からは130キロ程の距離だから「金帰月来」の単身赴任者には車移動が丁度よいものだが、福岡市近郊が渋滞するので高速道を半分使う
ことにした。しかし、これまでの単身赴任の経験からも時には列車での帰宅も併用していた。
唐津は、ずっと以前から興味のある土地だった。歴史ある街で親藩の地でもあるからだ。また、秀吉の朝鮮出兵の地である北部の名護屋城に実際に出かけてみたいとずっと思っていたからだ。
60歳定年までの2年間勤務だと解っていたので、これがもう最後のご奉公だと思い、しっかりと仕事しないという思いも募っていた。着任早々から出来る限りのアンテナをはって、管内地図を睨みながら県内各地の状況を再度把握してからとりかかった。やはり、地理的な特徴も考慮して、観光や危機管理防災の仕事も追加してしなくてはと思っていると次第にその方向性が見えて来たのである。
その土地に沿った交通体系や観光促進が重要だと思えたからだ。県内各地にはまだ埋もれた観光資源があるのに未だに活用されていないことにも気づかされた。そうこうしているうちに一年が過ぎ去った。これまでの経験からしても一年経過して、二年目である程度の形として残して行かないといけないという焦りに似た思いが強まった。
帰省出来ない休日には趣味の歴史街道(太閤道)も実際に歩いたし、名護屋城跡の周辺もじっくりと歴史探索してみた。あの呼子の大綱引きや唐津くんちの行事にも触れてみた。
また佐賀バルーン大会にも早朝から出かけてみた。伊万里焼のことを知ると薩摩焼と同じ文禄・慶長の役で朝鮮から連れ帰った陶工達の優れた技の長年の集積の結果の歴史なのだと知った。と同時に日韓文化の相互理解と尊敬が必要なのだと思いに至った。そうした深い認識をすることが出来たのもこの地での勤務のお陰だった。勤続疲労の蓄積で、遂に体調を壊し50代中頃から精神的に病んで落ち込んだ時を経ての最後の勤務地での充実した単身赴任生活は私の職業人生に良き思い出となっていた。
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