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2023年8月の投稿

2023年8月30日

素晴らしい先達二人に出会った石清水八幡宮

 関西に来た頃から、京都へ向かう途中で、ずっと気に掛かっていた場所の一つに八幡市の石清水八幡宮があった。
立地場所も南京都で、桂川、宇治川、木津川の三川合流地点の近くにある。三つ川はこの地で淀川となって大阪湾に注いでいる。面白い自然のロケーションでもある。また男山から見る鳥羽伏見の戦いを想像してみるのに良い場所でもある。
そして、私が石清水八幡宮の名を初めて知ったのは、吉田兼好の徒然草の第52段の仁和寺の老僧の「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」の言葉である。つまり、仁和寺の僧は、男山の麓の高良神社等のみ参詣して帰ってしまい、肝心の山上の本宮の八幡宮に参詣しなかった。だから、どんな些細なことでも、案内がほしいという教訓となっている。

実は私も早とちりな所があるし、ましてや初めての歴史散策は、今では事前に調べて出かけているが、それでも現地で勘違いして迷ってしまった経験はある。だから、今回は石清水八幡宮の現地案内所で、数枚の案内図を見ていたところ、突然なかから高年女性ボランティアが話かけてくれて、案内図を広げて八幡宮の設立の来歴からエジソン記念碑や楠木正成の手植え楠とかの見どころからを実に詳しく教えて頂いたのである。
この方が、まず一人目の先達である。

つまり清和天皇(850~881)は藤原氏が実権を握る時代に産まれ、母が藤原氏一族だったためにわずか9歳で天皇の位についたが、藤原氏が力を持つことを良しとしておらず、早くに譲位し仏門に入った。わずか31歳の生涯ながら子孫が多く、そのうちの一族に「源」という姓を与えた。この一族が「清和源氏」で、清和源氏は地方に広がり、武士となり勢力をのばした。源頼義・義家の時代には、関東で地盤を築き、ここで源頼朝は、鎌倉幕府を開くことになった。

また、石清水八幡宮は、神社創建前に霊水「石清水」が湧き出ていたことがその名の由来で、今から約1160年前の平安京を守る神様として、八幡宮の総本社である九州・宇佐八幡宮から八幡大神を勧請し、貞観2年(860年)に創建されたこと。またこの八幡宮は応神天皇、神功皇后、比咩大神(ひめおおかみ)の三神をお祀りする、二所宗廟のひとつであること。二所宗廟は、皇室が先祖に対して祭祀を行う廟のことで、伊勢神宮と石清水八幡宮の二ケ所だけだという格の高い神社でもあることなど知らないことだけでした。

男山の山上で、まるで竜宮城と見紛える社殿をゆっくりと眺めていたら、社務所の人かな思える初老の男性から良い写真とれましたかと声をかけて頂いた。そこで、私は1580年に信長の寄進した塀について尋ねたところ、分厚い瓦を重ねた幅1m強程の土塀の耐久力や耐火力の凄さの話もして頂いた。

それから信長は社殿内の朽ちた雨樋見て、永久に朽ちない金の雨樋として寄進した話もスマホ画面を次々に見せてくれて、詳しく説明してもらった。基礎の石垣も大坂城のように綺麗ない石組だったし、社殿の二羽の神鳩も八の字となっている謂れを説明して頂いた。
この日、二人目の先達であった。

八幡宮の創建以来、清和源氏や楠木正成、信長、家康らから寄進を受けているこの八幡宮は素人の私にも超国宝ものだと得心したのである。
それもこれも素晴らしい二人の「先達」のお陰だと思い、久し振りに充実した歴史散策となった思いがした。

 

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2023年8月15日

令和の大型台風7号

 令和になっての大型?台風が関西地方に直撃している。当初の予報より西よりのコースとなり、久方振りに厳重警戒しないといけない。 
定年後に関西に来てから思い出す大型台風は、5年前の2018年9月4日の台風21号だ。最大風速44m以上で、関西空港連絡橋にも甚大な被害をもたらした風台風だが、まだ記憶に新しい。自宅に居て、窓越しに見たその暴風の威力に本当に少し恐怖心を感じた思いが今も脳裏にある。

今回の台風はどの程度の被害となるか心配である。交通機関や防災担当機関も事前対策を入念にやってはいるが、注意が必要だ。
私の住む街も台風進路の東側となっているから暴風雨が早朝から夜までは続くのを覚悟している。
電気や水や食料も一応準備は、しているが、進行スピードが時速10キロ程度でノロノロで北西に進んでいるから被害が大きくなるのが心配だ。

地球環境が変化して、海水温がかつてより高まり台風も大型化しているとの観測もある。台風の発生数は少なくても、大型台風の襲来があるのが
特徴ならば、ますます減災対策を強化しないといけない。それは国や自治体や個人もだと思う。
地震と異なり、台風襲来は予報精度があがり、事前対策する時間があるから最後は、その心構え次第で、減災は確実に出来るはずだ。

 

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2023年8月13日

朝ドラ「らんまん」にみる明治の世相

大学生の頃から牧野富太郎に何故かしら興味があった。それが今春からの朝ドラ「らんまん」を通じて観るようになってきた。

牧野富太郎が生まれた文久二年(1862年)は、今から160年前で幕末動乱期で、森鴎外や新渡戸稲造も生まれている。
数年後に明治という新たな時代が始まるが、そんな変革の時代背景を思いながら最近観るようになった。

明治5年末から太陽暦の採用や地租改正やらと諸変革がスタートしている。
そんななかで土佐の佐川の裕福な酒造家に生まれているが、29歳の頃に実家は倒産している。テレビでは、火落ち、腐造がきっかけで資金繰りに困窮しての廃業となったようだったが、研究費や生活費にも多額の資金援助していたのも事実なのだろう。

ネットでその時代背景を調べてみると明治11年にスタートした造石税【製造した酒量に課税する従量税方式】は清酒1石(180L)につき金1円だった。それが4年後の明治15年には4円に大幅に増税されていた。また、当時自由民権運動とも関連して抗議の「全国酒屋会議事件」という減税運動もあった。
その後も明治29年に7円、明治37年に17円にまで増大しているが、それは明治政府による日清、日露の戦費調達ためだった。その後もシベリア出兵や満州事変でも多額の戦費が必要となり、ひたすら一等国を目指し、政府は大幅な酒税増改正を繰り返している。因みに明治時代の1円は、現在の貨幣で1.5万円から2万円位でかなり大きな税負担となっていたと容易に推察される。

そんな時代の苦境のなかでも、牧野は植物研究にエネルギッシュに続けていたと思うと感動せざるを得ない。
またドラマでも妻の壽恵子の力強い支援をうけて突き進んで姿に多くの人は感銘を受けているのだろうと思って私も毎回楽しみにして観ている。

これから昭和初期までが描かれるであろうこの朝ドラに注目していきたいと思っている。

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