14度目の引越しを終えて思うこと
平年より8日・昨年より16日早い梅雨入りの翌日の5月30日に引越した。
数えてみると、4回の単身赴任の引越しを含めて結婚してからの43年間でなんと14回目となる。これは少し異常だと思われても仕方ない数とも思う。
しかし、転勤族であるが故に、引越は既定のことで、就職してからの5回までは、業務命令であるから当然のことだ思っていた。
そして、子供の幼少の頃は、特に問題もなかったし、幸いにも妻も新たな場所への転居も苦にならない性格に助けられていた。
それでも長男と次男が小学生、長女と次女が幼稚園に通う頃になると心境は少しずつ変化していった。転校問題を真剣に考えるようになったからだ。
そのため43歳の春に遂にマンション購入しての6回目の引越となり、もう転校はないと当時はほっと一安心した記憶がある。
しかし、これからが私の単身赴任のスタートの年となった。それから連続的ではないけれど長崎、熊本、佐賀へと三回の単身赴任生活となった。
ともあれ、新築の我家には、まる4年間住めて、最初の単身赴任地の佐世保市は北九州市からで比較的近くて有難かった。というのも、毎週末に車で帰宅可能な約120キロ程の距離であったからだ。
その三年後には、二回目の単身赴任地は熊本県三角市(現在、宇城市)となった。距離は約220キロとなり、毎週末帰宅にはひと苦労した。
それでも、時には電車とマイカーでの帰宅スタイルで、途中下車したりして、見知らぬ各地の雰囲気を少しずつ堪能すること出来たのは、かけがえのない楽しい経験だった。というのも九州各地の天然温泉は入れたからである。まさに、「温泉天国の九州」を味わえたのも懐かしい思い出でだった。
そして、最後の単身赴任地の唐津市では、地元の物産館と併設した日帰り温泉を毎週通ったものである。
その山間の静かな温泉は、勤続疲労した定年前の我が身を確実にリフレッシュさせてくれたものである。
定年退職後は、16年間(実質は約10年間)住んだマンションを売却し、三人の子供達が住む兵庫県に想定外に引越することとなった。
思い出深い九州を離れるのは、一抹の寂しさも感じたけれど、転勤族の習性か子供たちの希望も手伝ってか、未知なる地へと引越することになった。
しかし、定年後に度々脳裏に浮かぶのは、仕事での転勤地よりも「忘れがたい故郷」の風景なのである。本当に不思議なもので、青年の頃にはあれほど脱出願望のあった故郷であるはずなのに。沸々と湧き出てくる残像は、少年の頃の懐かしい田園風景のことばかりなのである。
これはつまりは、歳を重ねると人の心の奥深くには、やはり故郷の風景が強く刻まれており、それを70歳近くの私も認識したのである。今日も西方に空をふと眺めていた我が身に気付いた。

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