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2023年6月の投稿

2023年6月22日

引越しの功罪

 最近、引越して思うのがその功罪である。仕事上の転居は止むを得ないとして、部屋の狭さや日当たりや総合的な周辺環境を理由に自発的に転居すると思わぬ苦労する。費用増は当然のことだか数年間で転々とすると文字通り「住所不定」となってしまかねない。

つまり、旧友やかつての仕事仲間から行方不明者となってしまう。勿論、年賀状を貰っている人達には転居通知はがきは出してはいるが、貰った方もついうかっり旧住所への宛先に出してしまうミスもある。
まあ、そろそろ年賀状じまいの連絡も到着し始めたので、その心配も少なくなりつつあるが、ラインでの繋がりで事足りている時代変化もある。

また銀行や生命保険や証券会社とかの住所変更も怠っていると大変ではあるが、これも最近ではネットでの変更登録も可能となっている。
しかし、個人認証のIDやPWを忘れて変更登録に手こずることがある。こうしたことに対応すべく手書きとPCでメモ書きするようになった。

そういった諸々の厄介なことを帳消しにするほどの心機一転の効果もあるから最後は納得してしまう自分がいる。
引越作業もかつては、始めは大変だったけれども慣れれば、多少は要領よくなるものである。
それでも流石に70歳近くともなるとやはり苦痛となってきた。もう、今回で最後だと自らに言い聞かせての今回の転居だった。

しかし現実は、貸主側からは、70歳近くなると家賃保証等の問題で次第に選別されているのが、現状だと思う。
だから、我々夫婦も終の棲家の選定を慎重に考えてのことである。
さあ、もう風に飛ばされる「タンポポ人生」に終わりを告げて、ほっと安堵感に浸っているこの頃である。

 なお、2年前に取得したマイナカードを活用して行政諸手続きをワンストップ処理できずに私の転居は終わってしまったのは心残りだった。

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2023年6月13日

心に残る引越しの思い出

これまで幾度も引っ越しを繰り返してきた。
最初の頃は、仕事の上だから、場所の選択の余地はなかったのだけれども、自宅マンションの購入の時と退職後からは、選択の自由を味わった。転居するたびに、環境にうまく適応するようになってしまってる自分に気付いている。

 これまで引越しで、まず思い出すのは、やはり初めての転勤命令での転居である。いま思い返せば25歳で結婚して、一年も経たないうちに、北九州から宮崎県への遠距離転勤だった。昭和の終りの時代だから宿舎は木造二軒長屋がまだ残っていたのだった。立地場所は日豊本線沿いで、すぐ近くには踏切もあった。

またその官舎は、土手の線路のすぐ下にあった。さらに驚いたことには、玄関は線路側に向いている。と言うことは客車からやや見下ろせる位置にあるからして、私が少し見上げると数メートル先の乗客の顔がほんの少しだけ見えるのである。よく目を凝らしてみれば、どんな飲み物を飲んでいるかもわかるほどの距離なのである。

これには全く驚いたのである。だから以後、私はその玄関からは出入りしたことがない。少し離れて勝手口から出入りしていたのである。
私の実家はあたりは田んぼに囲まれて、小さい頃から列車の汽笛は、遠くで聞いてばかりいたから、この体験には度肝を抜かれていた。
そして、貨物列車の通過時もガタンゴトンと言う音とともに踏切の長い警報音の複合音は、今にして思えば懐かしいが、当時の私には騒音だった。幸い妻は、これには全く気にも留めない性格なので、救われた思いであった。この宿舎には三年足らず住んだが、最後には私も全く慣れてしまっていた。

二番目に思い出すのもまた線路際の官舎でのことである。その宿舎は鉄筋コンクリート5階建ではあったが、今度は鹿児島本線沿いであった。
また近くに見上げれば、新幹線架橋と都市高速道路が見える。さながら「交通博物館の中の宿舎」だなと揶揄する同僚もいたほどである。
そして直ぐ近くに踏み切りはあるのは同じだが、線路との距離は15m程離れてはいた。しかし通過する列車数は鹿児島本線だから九州随一の数である。

ここでの思い出は、九州各地から関東へのブルートレインのことである。色んなヘッドマークの特急列車を幼い長男と眺めて楽しんでいた。すこし困ったことと言えば、たまにある深夜の線路補修工事である。深夜に線路側の窓がオレンジ色に明るいのに気付いて、窓外をみると大勢の線路補修の作業員が一所懸命に仕事していた。この宿舎には丁度4年間住んでいた。1970年代後半の頃の話である。

今となっては思い出深いもので、驚くばかりの体験も各地で色々したけれど、結局は先人の「住めば都」いう言葉どおりだと身をもって体感した。

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2023年6月 5日

14度目の引越しを終えて思うこと

平年より8日・昨年より16日早い梅雨入りの翌日の5月30日に引越した。
数えてみると、4回の単身赴任の引越しを含めて結婚してからの43年間でなんと14回目となる。これは少し異常だと思われても仕方ない数とも思う。

 しかし、転勤族であるが故に、引越は既定のことで、就職してからの5回までは、業務命令であるから当然のことだ思っていた。
そして、子供の幼少の頃は、特に問題もなかったし、幸いにも妻も新たな場所への転居も苦にならない性格に助けられていた。
それでも長男と次男が小学生、長女と次女が幼稚園に通う頃になると心境は少しずつ変化していった。転校問題を真剣に考えるようになったからだ。

そのため43歳の春に遂にマンション購入しての6回目の引越となり、もう転校はないと当時はほっと一安心した記憶がある。
しかし、これからが私の単身赴任のスタートの年となった。それから連続的ではないけれど長崎、熊本、佐賀へと三回の単身赴任生活となった。

ともあれ、新築の我家には、まる4年間住めて、最初の単身赴任地の佐世保市は北九州市からで比較的近くて有難かった。というのも、毎週末に車で帰宅可能な約120キロ程の距離であったからだ。
その三年後には、二回目の単身赴任地は熊本県三角市(現在、宇城市)となった。距離は約220キロとなり、毎週末帰宅にはひと苦労した。

それでも、時には電車とマイカーでの帰宅スタイルで、途中下車したりして、見知らぬ各地の雰囲気を少しずつ堪能すること出来たのは、かけがえのない楽しい経験だった。というのも九州各地の天然温泉は入れたからである。まさに、「温泉天国の九州」を味わえたのも懐かしい思い出でだった。
そして、最後の単身赴任地の唐津市では、地元の物産館と併設した日帰り温泉を毎週通ったものである。
その山間の静かな温泉は、勤続疲労した定年前の我が身を確実にリフレッシュさせてくれたものである。

定年退職後は、16年間(実質は約10年間)住んだマンションを売却し、三人の子供達が住む兵庫県に想定外に引越することとなった。
思い出深い九州を離れるのは、一抹の寂しさも感じたけれど、転勤族の習性か子供たちの希望も手伝ってか、未知なる地へと引越することになった。

しかし、定年後に度々脳裏に浮かぶのは、仕事での転勤地よりも「忘れがたい故郷」の風景なのである。本当に不思議なもので、青年の頃にはあれほど脱出願望のあった故郷であるはずなのに。沸々と湧き出てくる残像は、少年の頃の懐かしい田園風景のことばかりなのである。
これはつまりは、歳を重ねると人の心の奥深くには、やはり故郷の風景が強く刻まれており、それを70歳近くの私も認識したのである。今日も西方に空をふと眺めていた我が身に気付いた。

 

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