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2022年12月28日

天を相手にすれば

 何かと忙しない師走も押し詰まった。そんな折に車を運転する機会に思うことは、自転者で動き回る人の縦横無尽さに時折ヒヤッとすることがよくある。もう少しは交通ルールも守って安全に走って欲しいと思うのだが、相変わらずで一向に改善の気配はない。毎度だとイライラが募るばかりだった。そんな自分にも嫌気がさしてはいたのだが。

そんな折に出会った言葉が、あの南洲翁の西郷隆盛の遺訓「天を相手にして己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」だ。
ルール無視の相手を咎めるよりは、予測運転を徹底して安全に運転することに考えを集中することだと思えば、ストレスも無くなり、心も落ち着いてくるとものだと感じた。

車の運転に限らず、シニアになるとキレる老人が多いと言われている。背の中の大して様々な欲求不満が鬱積してのことかも知れないが、怒り爆破してしまったにお終いだ。そんな時には相手を怒り爆発するよりは、己を足らざるを尋ねてみることに方向転換する工夫を少しでも転換することだと思った。短気な私には特に、その習慣訓練が必要なことだと思っている。

天とは「天地万物の支配者。造物主。神。天帝。また、天地万物を支配する理法。」であるから、絶対的な節理である。
天の前には、人は小さくて愚かな存在ではあるが故に、それに従い、生かされている我が身を思うことができる。
遅まきながら、ようやくそんな風に考えられるようになったのは、もう70歳近いシニアとなった結果なのかもしれない。

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