スポーツジムとの出会いと変遷
振り返ってみると私の健康法はずっとウォーキングであった。
中学や大学時代には陸上部で駅伝とかで走ってはいたが、就職後の30代頃からはずっとウォーキング中心だった。
中年や定年後もその習慣は相変わらず、各地の住まい近くで、自然味溢れる山や川を選んで、時折歩いてばかりいた。
だからスポーツジムとは、全く無縁であった。まあ、昭和平成初期の時代でもあり、そもそもスポーツジムなど今のように見かけなかった時代でもあるが。それが、定年後に関西の人口30万人を超える都会に住み、長男の勧めもあって、渋々とジム通いを始めてみた。
そして、あのランニングマシンの上で最初は歩いていた。最初はベルトコンベアの上で歩くのはかなりの抵抗感があったのを覚えている。
何せ周りの景色が同じで、ちっとも気分転換にならないし、爽快感もないのである。数回通って止めようかとも思っていた。
そんな姿と言動を見た息子が、ホノルルマラソン挑戦する気あるならば、交通宿泊費は支援するとの申し出があった。
この提案に普段は、全く運動しない我妻はすぐに食いついてきたのである。要はハワイ観光したいだけなのではあるが、その意気込みに巻き込まれて私は、ジム通いを続ける羽目になったのである。そうして約8ヶ月間のトレーニング後の2019年12月8日にホノルルマラソンを二人で完走?(歩)することできた。
その翌年からは、おぞましいあのコロナウィルスに阻まれて、ジム通いも一時中断した。やっと再開し始めてもまた感染再拡大を何度も繰り返しまたもや中断した。そしてコロナ禍3年目の今は、ランニングマシン上での動きは全く途絶えたままである。
辛うじて人出の少ない時期にジムの風呂通いとなり下がってしまっているのが現状である。
それでも再開の時期を伺っている自分がいるのは事実である。継続は力であるを信念に少しでも動き続けることにしようと思う68歳を目前にして決意を新たにしている。
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