ウクライナの歴史を調べてみて
連日、テレビ報道でロシアのウクライナ侵攻の残虐な映像が流されている。一日も早く非人道的な戦争は止めて
もらいたいと願うばかりではある。そして、ロシアの言う歴史感に疑問を感じている私は、ウクライナやベラルーシとのロシア連邦の
遥か以前からこれまでの歴史を調べてみたくなった。
ウクライナの首都であるキエフは、ウクライナ語ではカーブである。ここに9世紀後半から13世紀半ばまでにキエフ
公国と言う大国があったという。東スラブ民族の国家である。東スラヴ人、バルト人およびフィンランド人までもをも含み、ヴァリャーグ
(スラブ語でバイキング)の王子リューリクによって創設されたリューリク朝の治世下で複数の公国が緩やかに連合していたという。
ベラルーシ、ロシア、ウクライナの現代国家はいずれもキエフ大公国を文化的祖先とし、ベラルーシとロシアは
それに由来する名称であるとか。
そうした中世の歴史的なつながりのあった諸国が、その後の東西冷戦を経て、信じられないような幾多の変化を辿っての現在である。
そうしてそれは、今ではロシアの一独裁者の勝手な歴史観で武力にという強力で歪められてしまっているとしか私には思えないのである。
過去の緩やかな連合公国が、現在では武力による現状変更と制圧がまかり通る状況は目を覆いたくなる惨状である。
宗教的にもロシア正教会ももウクライナ正教会と対立、分裂してしまい、プーチンのウクライナ侵攻を支持しているとか、全くもって理解
不能のロシア正教会であるとか思えない。 ロシア研究の専門家のコメントを聞いても、容易に将来の見通しは立たず、多くの人々は無力感に苛まれるのが現状である。
また、EU諸国も国連も完全にその無力状態を露わになって、未だに今後の改革の動きも少しも見られない。
全くもって情けない限りである。それが世界190ヶ国の現実なのだと思い知らされた。
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