母の教えと人との出会いが渋沢栄一を作ったのでは
いつもの川沿いのウォーキングをしながらブログのテーマを考えていたら今日は、日曜だから大河ドラマも見たくなった。
青天を衝けの渋沢栄一の生い立ちから明治政府での活躍を見ていて思ったことを書いてみよう思った。
このドラマでは、渋沢栄一と言う人物の思想的な基礎を作ったのは、やはり母親のえいの口癖である「みんながうれしいのが一番」という考えではないだろうかと思ったのである。まさに、偉人は母親が育てるのという見本ですね。
そしてまた、平岡円四郎という一橋家の重臣との出会いが大きな転機となっており、その後の欧州視察での近代資本主義の触発の流れへと思っているからです。
「おかしれい」という柔軟な精神性を持った平岡円四郎という人物の出会いなかりせば、渋沢栄一もなかったと思えるほどの人生の大転機だったはずである。この二人の人物の影響を色濃く反映して、後年の渋沢の方向性は出来上がっている思ったのである。 特に、平岡円四郎という人物に注目している。歴史にもしはないけれど、この人との邂逅なかりせば、欧州視察のチャンスも発生していないのである。いくら母から公徳心の教えがあっても、欧州視察で得たカンパニーの制度を会得できない渋沢となっていた筈であるからだ。
後年、渋沢栄一は、政府の役人を辞して、500程のカンパニーも設立しているが、財閥は形成してはいない。それどころか公益的な事業も推進しており、徳川幕府の崩壊後の混乱で発生した孤児達や浪人の受け皿にも関与支援しているわけです。
幕末の頃の若き渋沢栄一は、血気盛んな渋沢青年は、危なっかしい限りで、一歩間違えば命取りなったはずですが、幸運にも一橋家の武士となっているところが、不思議な縁に助けられていますね。勿論、栄一青年の実務処理能力も高さもあってのことですが。
いずれにしても、渋沢栄一は、薩摩の伍代友厚とともに近代日本資本主義の基礎を作ったことは大きな功績であることが理解することが出来ました。また、兎角、営利至上主義に走り気味で、公共性や公益性もまだまだ薄い昨今の大企業の在り方をも問うタイムリーな大河ドラマの選定になっているなあと私は感心しきりです。
にほんブログ村 ランキングに参加中です。左の「にほんブログ村」をポチっと、ワンクリックして応援して頂ければ幸いです!にほんブログ村
« 息を吐くことの効用を再認識したこの頃 | トップページ | 「一日一生」の真の意味が解かった思い »
「大河ドラマ」カテゴリの記事
- 「鎌倉殿の13人」が始まって(2022.01.15)
- 母の教えと人との出会いが渋沢栄一を作ったのでは(2021.11.14)
コメント