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2021年10月11日

やはり「少しの事にも先達はあらまおしきことなり」

 

先日、久し振りに街道めぐりの歴史散歩にでかけた。京街道(京都に向けてのみの街道名)の一部を歩くためである。
事前に京街道巡りのマップやら、気になっている史跡も含めて、ネット等で情報収集に数時間かけて調べていた。

東海道は53次(江戸日本橋から滋賀の大津宿)がなじみ深いが、徳川幕府の公称では、大津から大阪へはあと4宿場(伏見、淀、枚方、守口)も含めた東海道57次となっている。 今回の散策は、この最後の57次の宿場街である守口宿が中心なかでも秀吉が1596年に毛利、小早川、吉川の毛利三家に命じて造成させた「元禄の堤」の遺跡です。

なにせ今から400年以上も前の街道であり、現存する「元禄の堤」の跡も僅か700m程もないことだからと地図等で事前に確認はしていた。
しかし、当時の街道と言えば幅2mほどの小道でもあり、淀川左岸の堤防を改修して造った街道で、堤であるから少し高くなっていたことには当初は全く気付いてはいなかった。

当日は、京阪鉄道の守口市駅で下車し、淀川方向の出口から出たのですが、どうも列車の進行方向と勘違いしていた。 持参の京街道マップとは違うなあと気付いたので、すぐに通りかかりの年配の方の二人に道順を尋ねて確認したのである。

すると間違いもすぐに修正出来たのですが、肝心の「元禄の堤」への入口が全く分かりません。またしても通行人の方にお尋ねしたのですが、どうも要領を得ずにあたりをうろうろと歩くことになりました。地域の歴史に興味もなく、地元愛もうすい方には当然のことかもしれないなあとは思いながら、また暫らく歩きまわりました。

しかし、目的の京街道沿いの一部の石碑しか見つけるのがやっとで、次第に疲れて出て遂には体力も尽きかけ、諦めて後日出直すことになったのです。
そうして帰宅してから、再度入念に調べてみると意外と近くにあったたことが解ったのです。ほんの少しのところで逆方向に進んでいたのです。

因みに、先達とは案内人のことではあるのですが、何事も自分勝手な思い込みでは駄目であるとまた思い知ったのである。 まさに、あの徒然草の仁和寺の僧侶の如しである。
兼好法師の「少しのことにも先達はあらまほしきことなり」の残した言は、まさに至言なりと感心しきりであった。

この守口市からあの石清水八幡宮もあまり遠くないはない場所にあり、その山上の石清水神社には次回は心して参詣したいものだと心に 刻んだ歴史散策だった。


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