お盆を前に祖父の生涯ヒストリーを思う
今年もお盆の時期となった。65歳を過ぎて、ふと自分のご先祖へのこれまでと違った思いが頭をよぎった。
まずは、明治11年(1878年)生まれの祖父である。祖母は、私が生まれた翌年には他界しているので、全く記憶にはないのである。
祖父と私との接点はわずか6年ではあるが、子供なからもおぼろげながらも覚えている。 しかし、祖父は晩年の数年間は脳卒中で、自宅で病床に伏していたが、すこし記憶にはある。病床の見舞い品の果物やお菓子をもらって食べてた小学校1年頃の懐かしくて楽しい思い出である。
祖父の生まれる前年の明治10年は、西南戦争であるからには明治の諸制度も一応確立され、さらなる発展へと突き進んでいた頃なのである。
また11年といえば、東京の紀尾井坂で、大久保利通が暗殺されたり、東京証券取引所も開設された年でもある。
勿論、当時の地方の田舎の農家ではあるから、日本が富国強兵への道へ動いて行ってるという影響も極わずかであったかもしれないけれど。
そして明治の後期に、7歳下の祖母と結婚し、大正末期にかけて、なんと7人もの子供をもうけている。
令和の時代とはまさに隔世の感ではあるが、当時としては別段珍しくもなかった時代である。
明治27年(1894年)の日清戦争開戦時は16歳だから招集されなかっただろうが、明治37年(1904年)日露戦争開戦時は26歳だったからどうだったのか。
その後、大正3年(1914年)には第一次大戦も勃発して、当時は10年毎に戦争が勃発している時代に壮年期を送っているのである。
さらには、昭和16年(1941年)には太平洋戦争も開戦しているのである。この時は63歳であり、晩年に至る間までも戦争が連続しているのである。
その戦後15年間の生活はどうだったのだろうかと思いを巡らしている。知られざる苦労もあったのでは思うが。昭和35年に82歳で他界している。当時としてはかなり長寿である。
そうしてみると祖父の一生は、まさに少年期から老年期までの間、ずっと戦争時代を生きたことになる。
私は昭和の前期末の「もはや戦後ではない」頃の昭和29年生まれで、その後の高度経済成長の恩恵で少しずつ豊かになる生活を両親のお陰で不自由もなく過ごすことができて幸福であったと再認識して、改めて感謝している。
これからもこの平和の有難みを感謝して、しっかりと維持していく微力ながらも努力もしないといけないと思うのである。 その為にも、こうした近代の歴史を勉強して、そういう悲惨な時代があったという事実を忘れないことだと思っている。
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