初ホノマラ悪戦苦闘記(その3・20キロから30キロ)
往路の長く単調な直線のハイウェイコースの3キロ過ぎた頃は、あまりの単調さに飽きて来たので、あたりょキョロキョロ見渡すして気分転換するしかなく、丁度すれ違う復路のランナー達を観察しているとふと心の片隅にUターンしてしまいたい気分になるそうだとか言われている。
しかし私には不思議にそうしたし衝動に駆られることはなかった。羨ましく悔しい気こそあれ、折り返しのランナーの雄姿が眩しかったのだ。
この地点ではまだ不調と言えども戦うスピリットは残っていたという証拠だろう。苦しくても挑戦者として心意気はまだまだ心のどこかに残っていたという感じだった。
そして、改めてファイティングポーズをとって、マイリズムをとりながら前と進んでいった。そうして数分間ゆっくり走ってみると不思議といけそうな感じも出てきたが、果たしてまだ中間点の表示がなかなか見えてこないのである。表示版を探しながらのジョグである。
あとで解ったのことだが、そもそも中間点の表示なんていうものはなく、13マイル又は21キロの表示板過ぎあたりがほぼ中間点なのだった。
それでもやっとレースの半分経過という安心感は何より有難く、少し嬉しい気分となった。
それも束の間、この先折り返し26キロ過ぎ地点までは5キロ超あり、果たしてこのペースで大丈夫なのだろうかという一抹の不安が心に過る。
少しセーブしようかという気分にもなりかけた。まだ先は長いのである。復路のハイウェイとそれに続くあのダイヤモンドヘッド坂のことを考えるとまた少し自信はなくなってしまった。
がしかし、それでも前へ前と進むことだけは止められずに脚を動かし続けている自分に気が付く。
そうするうちに右手の海側にマウナルアベイの綺麗なビーチ公園が少し見えてきた。広くて気持ちよさそうに公園だ。
この25キロ地点でトイレ休憩と靴下を交換して、リフレッシュした。この辺りはねハワイの高級住宅地らしく各家の裏にはマイボートが係留されていた。素晴らしいところだと感心しながらも時間が気になり、再スタートすることにした。
そしてこの高級住宅地の住民が声援を送ってくれたり、キャンディ応援もしてくれた。しきりに手をたたきながらグッジョブの連呼の声援に大いに励まされたことは、今も鮮明に記憶している。
こうして30キロ地点までは何とかたどり着くことが出来たのである。
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